万太郎のダメ父ちゃんぶりを見たかったよ!「らんまん」<最終週!>

らんまんタイトル ドラマ率直感想!

第26週「スエコザサ」127話

明らかにアルバイトの範疇を越えた仕事内容に、「こんな重大なお仕事は」とてもじゃないけどやってられねー(否)、とても引き受けられないと一度は断った藤平さん。けれど、震災の記憶や戦後の経験を思い出し、「それを考えたら私、帰れません。次の方に渡すお手伝い、私もしなくちゃ」

何をきっかけに藤平さんは考えを変えたのか。今日、答えが見られるかと少しは期待したんです、これでも。でも、やっぱりわからずじまいでした! ことごとく映像でスッキリさせたい部分がスルーされていくーーー(涙)

そして、藤平さんに渡される万太郎の日記。「槙野博士、初めまして」。

ダメなお父ちゃんとして描いてませんけど?

標本の整理・分類のために「博士の日記、それから標本の新聞、日付」から博士の行動録を作るという藤平さん。
「一人の人間の行動録を追いかける。それが調査の基本ですから」とキリリ。
でもさ、じゃあ今まで見てきたらんまんってドラマじゃなくて万太郎の行動記録だったのかって感じ(苦笑)。そりゃ、万太郎の内面がことごとく伝わらないわけだよって妙に納得しちゃったよね。あははは。はぁ。

お父ちゃんは、これから先の人に活用して欲しくて標本も図鑑も、必死に作り上げたんだもんねぇ。←「活用して欲しい」。嘘ではないが、そうやって描き続けてきたかと言われると疑問。万太郎は「バイカオウレンの絵と文があったら、この花を見たことがない人にも知ってもらえる」という気づきから、「ワシの植物学」として日本の植物を全部明らかにして図鑑にすること、それに一生を捧げることで植物に尽くすとしてきた。

私は理解できなかったけど、「ワシの図鑑もお役に立ててもらえる」とは言っているから、図鑑を活用して欲しいという思いはあったと思うけど、いや図鑑って活用するものだけど! でもなんか、万太郎は目的ありきで行動したというよりも、「ただ植物を愛して愛して愛した結果が、図鑑というカタチになった」という流れのほうが、彼の人生や気持ちに寄り添えるのよね、私なんかは。

藤平さんが万太郎のことを「さぞ、偉大なお方だったんですよね」と、わかりやすい前振りをする。あぁ、そういえばらんまん初期は、めちゃくちゃベタだったなと思い出すなど。
「偉大ねぇ。あのね、ちっとも。そりゃ、ダメなお父ちゃん。周りの人たちを振り回して、今だってこんなに振り回されているでしょう」

あーあ。万太郎ってダメなお父ちゃんでしたっけ? ちゃんと覚悟を持ってダメなお父ちゃんを描き切らないと、こういうセリフは生きないよ…。どうして?どうして?どうして? どうしてこうなった!

「でも、みんなお父ちゃんが大好きだった」←こっちに重きを置き過ぎてしまったかな?

お父ちゃんはただ一生涯、植物を愛しただけなの。ただひたすらに、そういう万太郎の生涯を見せてくれるだけでよかったのにね!

時がまた遡ってしもた(そりゃそうか)

そしてまた時代が遡り…。
昭和2年(1927)夏、ラジオにも出演したらしい万太郎。ワイが見たい万太郎活躍場面はことごとくセリフで済まされてしもうて、なんだかな。

万太郎を訪ねてきた子どもたちに、即興植物標本作り教室を開く万太郎。それを見守るお寿恵は、子どもたちにお茶を出そうとしていたようだが急須を落として割ってしまう。
「お母ちゃんが急須を落としたがじゃ」、第四形態の千鶴の返事は「また?」
近々病院に連れて行くようなので、老いが原因ではないだろう。(なんとなくだけど、はっきりどうして寿恵子が亡くなったのかは描かなそうだな)

しっかし、ジジイになった波多野藤丸が登場するとわねぇ。いや、このコンビは好きでしたけど、うーーーーん。ぶっちゃけ、ジジイ波多野藤丸を使って描く何かより、万太郎の人生をとことん描いてくれれば満足だったのになー。

波多野はなんしか“最も優秀な頭脳60人”に選ばれたらしい。そのお祝いを兼ねて槙野家を訪ねて来たのだが、波多野的には「万さんに用があってきた」と。
「ねえ万さん、理学博士にならない?」←理学博士って、喫茶店行かない?みたいなノリでなるかならないか選択を委ねられるものなの? もう、意味わかんねーーーっす!

・キャスト・
作…長田育恵
槙野万太郎…神木隆之介(通称神木きゅん)
槙野寿恵子…浜辺美波
波多野泰久…前原 滉
藤丸次郎…前原瑞樹
槙野千鶴…本田望結
槙野千鶴…松坂慶子
語り・藤平紀子…宮崎あおい
主題歌…「愛の花」あいみょん

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