2022年9月30日、迷作「ちむどんどん」が最終回を迎えました。やっとこさ終わってみたら、もう振り返らなくてもいいかとも思うし、いやでも、正直もう少し言いたいこともあるんだよなとも思う。
朝ドラを見ない友人でさえも「今の朝ドラ、叩かれてるねー」くらいの印象があるほど、世間では賛否両論の“否”の声の方が多い印象ですよね。
ネット記事は、 #反省会タグ をいいエサに煽るだけ煽った感じもあるし。本当にこの朝ドラはなんだったのか。最終回を見て、「コントだったんですね!」と思わざるを得ないって、どういうことなのよ。
いやね。オダギリジョーの「オリバーな犬」がよすぎて、彼のコメントをいくつか読んでいて、「ちむどんどん」のことを思い浮かべてしまったんですよ、私は。
オダギリジョーは、作り手としての覚悟がある。「良くも悪くも問題作であってほしい」という言葉に、ものづくりをする人間の、そこにある面白さ、大変さ、逃げられなさや苦しさなんかも感じるじゃないですか。
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話は逸れますが、私は「おかえりモネ」が大好きなのですが、このドラマも賛否ありました。
「おかえりモネ」は逃げずに描ききった分、否定派の人の声はときにキツすぎるものもあった。だけど、脚本の安達さんはそれも覚悟してあの物語を書いたと思います。全員に受け入れられはずはないけれど、彼女には伝えたいことがあった。「おかえりモネ」の制作チームには、伝えたいテーマがあって、それを貫いていたと思います。その覚悟も含めて、私はあのドラマが大好きなのです。
「賛否の“否”が多いなら、それはそれで嬉しい事」とは、同じ記事のオダギリジョーの言葉です。そう。どんなドラマも映画も演劇も、見た人全員が“賛”なわけがないし、“否”が多いことだってある。
「ちむどんどん」の放送が始まってみたら、“否”の意見が多かった。アレよアレよと世間の評判が芳しくなくて、ちむどんどん製作陣はコントに逃げたわけです。「笑って泣ける朗らかな物語(公式談)」の「笑って」に重きを置いたことにして、ドラマの雰囲気をコント仕立てにしたと思います。
ドラマ序盤の子役ちゃんたちのころはそんな風に感じなかったし、大人編になってからも最初はそこまでじゃなかった。どこかでコントに舵を切ったと、私は感じました。「やだなー、そんなに目くじら立てなくてもいいじゃないですか。冗談ですよ、冗談」みたいな言い訳のつもりですかね、と。
オダジョーがさ、「なぜ自分は“否”と感じるのか?をちゃんと考えて、自分に向き合うことこそ意味のあること」と言っているわけだから、ちむどんどんの何が受け入れられなかったかは、振り返って考えていいんでしょう。過去には離脱した朝ドラが何本もあるというのに、離脱はしなかったわけだから、どこかに何かしらの魅力があったのでしょうかね←未だそれは見つけられないけどな!
だけど「ちむどんどん」も、これは離脱するかもと思ったことはありますよ。それはね、
ヒロイン・暢子が和彦と結ばれたエピソード!
朝ドラのヒロインの恋でキュンキュンできないのは仕方ないとしても、私ったら引いちゃったもの。取材で沖縄戦のつらいお別れの話を聞いてきてその結論が「ぼくはこの手を離さない」なんて、ちょっとどうかしてるゼ、和彦くんよ!
「来ちゃった」とばかりに暢子に会いに来てるしー、仕事なのにー、お坊ちゃん恋愛脳かよーー。ハグしてキッスしてその流れで結婚の挨拶してって、畳みかけるわw
で、独立して店を開くというときにあっという間に妊娠もして、仕事も子どもも諦めません!で突き進むヒロインを、どう応援したらいいのかサッパリわからなかったよ。。
これで暢子の子どもを中心にしたエピに移って、その子どもの反抗期なんて描かれたらこりゃ視聴離脱かなって危惧したんですけどね。そんな心配、無問題でしたよ。
しかし、50年の物語と謳っておいて、最終回の10分くらいで30〜40年近くワープするなんて力技が過ぎるし、まさかまさかの孫まで登場するなんて想像もしなかったゼよ。
最終回の半数以上が“初めましてのキャラ”って、すごい無駄使い⁉︎ 破れかぶれかしら。